雑記帖としま fengdao.exblog.jp

現ライター、豊島ミホのブログです。雑記帖ゆえ雑文が書かれていきます。カテゴリの「はじめに」も是非お読み下さいませ。


by 豊島ミホ
プロフィールを見る

<   2016年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

余暇が好き、余白が好き

こんばんは豊島ミホです。
ツイッター見てくださっていたみなさま……!
今までありがとうございました。
先週告知(?)した通り、6月30日をもって
@toshimamihoのツイッターアカウントを閉鎖しました。
先週ご挨拶はしましたが、向こうでお付き合い下さったみなさま、
今までありがとうございました!!

ブログに、もどるぞーーーー!!!

って意気込みでの閉鎖です☆



ツイッターを始めた時期(2014年10月だったかな?)って
ちょうどブログに長文書かなくなった時期と一致するんですよね。
リア充すぎてそれどころじゃなかった……のか? 
までも大きく環境が変わっていくところで、
ひとり暮らし時代みたいに好きな時に好きなだけ
パソコンの前でフンフン(←鼻息)長文書くことは
しなくなっていったんでしょうね……。

そんで代わりに、ちょこちょこつぶやけるように?
何か吐き出し口を求めてw ツイッターを始めたんだと思います。
当時の気持ちとしては「なんとなく」だったんだけど、
今になって振り返れば、そうだなぁ。

でもこの夏、ちょっとだけ仕事をゆるく組んだので
また好きな時に好きなだけw 長文を書くことをしたい!
と思ってます。
年始には「今年はブログとツイッター控えめに」と言ってたけど
ブログは半年で解禁! しちゃうよおおお!



いや〜〜…… この月末まで地獄だった。。。
年末年始に思いっきり仕事サボったツケが
半年間ずっとスケジュールを圧迫していた。。。

今だから言うけど、年末年始にNetflixで
「テラスハウス」を18話一気見しました。夫と。
あと「カルカソンヌ」という
1プレイ1時間近くかかるボードゲームを
1日8プレイくらいしたりしてました。夫と。
夫婦ふたりでこれでもかっというほど遊び倒したよおおお!!!!
その様子を「テラスハウスとカルカソンヌ」っていうタイトルで
ここに書きたかったんだけど、
年始過ぎたらもうそんな暇もなかったwww

でも、やっとやっと暇時間にたどり着いた! よ!



なんか私、この半年でつくづく思いました。


やっぱり余暇が好き。って。


最悪……
この大不況時代に大声では言えない……

でも、役にも立たないことをしている時間が
大・大・大好き!!
超あいしてる!


このブログもさぁ。
仕事目線で見たらほんと、なんなんだろって思いますよ。私自身も。
ライターならもっと仕事の依頼が来るようなこと書かなきゃいけない、
何かひとつかふたつの分野に絞り込んで
たくさんの人の興味をひくことや役に立つことを書かなくちゃいけない、
わかってるー。
なのにこーやって役にも立たない長文ばっか書いて、
お前仕事やるきあんの?! みたいな感じだし。

でも私はー
この自由帳が好きいぃぃぃぃぃぃ!!!

なんだろ。
よく考えるとふしぎです、
自由帳が好きって。
私は文章の仕事を2種類経験しているわけだけど
どのどちらにも当てはまらないこれを
なんでそんなに好きなのか……
そもそもなにが「自由帳」でなにが「自由帳」じゃないのか……。

自分でもよくわかんないけど
思いついたことなんでも書ける! っていうだけで
こころがはねまわる!!!!
ぴょんぴょーーん



まだ見に来てくださっている奇特なみなさま、
どうぞまたこの謎ブログにおつきあいいただければと
思います。
今度はすぐ更新しにくるよ! た、たぶん!

そうそう、PCでご覧の方にしかわからないことですが、
実はこのブログのスキンを大幅に変更しました。
開始以来12年近く、同じ基本構造? でやっていたのを
新しくしたんですよ。
サイドバーが右から左になっているでしょ?
他、見た目がちょっと今風になったかなっと思ってます。
でへへ。
スマホの方、よかったらどっかで見てみてください。
トップ絵も変えているよ!
by refri5erat0r | 2016-06-30 22:36 | 雑記
こんにちは豊島ミホです。
長いことブログを書いてませんでしたが
あまりに面白すぎる本に出会ったのでっ……!
すぱぱぱっと紹介しちゃいたいと思います!


びりっかすの神さま (偕成社文庫)

岡田 淳 / 偕成社



『びりっかすの神さま』

1988年発表の超有名な児童書です。
私の世代がだいたいリアルタイムですよね……
でも小学3年で活字界から逃亡した私は読んでませんでした。
この間夫が「急に再読したくなった」と買ってきたので
私も何の気なしに読んだんですが、まあ……


はんぱねえエンタメ性とメッセージ性に戦慄!!!!


舞台はとある小学校の4年1組。
主人公の始(はじめ)は転入生です。
転入早々彼が教室で目にしたものは、
くたびれた背広を着たぼさぼさ頭の妖精!

やがて始は気づいていきます。
そのクラスの席順が、テストの順位を元に決まっているということ
(※成績悪い人が前、だったら指導のためなのでわかるけど
 悪い人ほど後ろという「ただの見せしめ」系)。
テストも給食を食べる速さも、
「人に勝つ」ということが奨励されていること。
「びりっかす」の人間は、当然のようにみんなから見下され
先生の前であろうといじめられていること。
そして「妖精」が、何か競争の結果が出るたびに
「びりっかす」の人のところにまとわりついているということ……。

だいたいこの辺までの話は夫に聞いて把握していたので、
読むまでは
「びりでも誰かは君のがんばりを見ているよ!」
的なお話かなあと思ったんですよ。
困った時に、「びりっかすの神さま」がちょっとだけ手を貸してくれるとか……。

でも全然そんなお話じゃないんです。
「びりっかすの神さま」はなんの力も持ってないし
びりの子の味方でもない。
きみはいったいなんなの、と始に問いただされた妖精は
自分をこのように語ります。


  競争して順位をつけると、とうぜん最下位のものができる。
  おれは気がつけば、いつも最下位をとった子のまわりに
  ただよっていたんだ。
  いや、そういうよりも、
  できのわるかった子の気分っていうか、感じっていうか、
  そういうものがよりあつまって、おれがうまれた
  っていうほうがいいかもしれん。

  (偕成社文庫版 p.38-39より)


へんな妖精=「びりっかすの神さま」は
教室の空気やびりの子の劣等感そのものであって
状況に介入する力も意思も持ってないんです!
うひょぉ。

そして彼の姿は、転校生である始にしか感じられません。
びりの子も、そうでない子も、
妖精がふわふわ教室の中をただよっていても
全然気づかない。
始は、よりダイレクトに妖精とコンタクトするために
みずから最下位を取ることにし、それに成功します。
最初はきれぎれの声しか聞こえず、姿があやふやだった妖精も、
びりを取るとはっきりと姿を現し、心で対話できるようになります。

なんだこれ社会学の話か?!

って思ったよねうん思ったー
システムに組み込まれちゃうとよくわかんないことを
外側から来た人は認識できるし、
意図的に状況を動かしてみることもできる、みたいな。
妖精との対話というのは、客観的分析のことかな? 
と思いました、最初は。

でも、さらに思わぬ方向に話は進みます。
キーになるのは妖精との対話。
「気分」とか「感じ」である妖精を
意識した上でびりを取った始は、
妖精と対話できるようになりますが、
これがなんと! 始以外の子にも起こるようになるのです。
そうすると、どうなるか……?

あっちょっとこの辺からネタバレ入ってくるな……。
全然筋を知りたくない方はこの辺で離脱してください。

んもーこの先の展開がすごい!
ここまででまだお話の3分の1くらいにしかなってない!
出てくる子はみんなわりと普通の子、普通のクラスなのに
まじかよっていうほどエキサイティングに話が転がっていきます。
痛快爽快! でも悪い意味でのフィクションっぽさは全然ない!
正直、誰が読んでも、何歳の人が読んでも
絶対面白い本になると思います!

あーこの名作を今まで読まないできた私って。。。

でも、子どもの時読んだ、って人も
もう1回読むといいと思いますよ。
大人になってわかることあるはずなんで。

下にネタバレ感想文も書きます。
ほんとにネタバレなので。できれば読んでから見てもらいたい。
by refri5erat0r | 2016-06-15 15:20 | 読んだものの感想
上の記事の続きであるところの
『びりっかすの神さま』ネタバレ感想文です(あらすじはそちらで説明済)。
感想文ゆーても学校の感想文に役立つようなものじゃないんで
それを求めてる方はよそへお願いしま〜す☆



この作品の舞台となる教室は、
人に勝つことが目的の競争主義社会。
そこに、過労で父を亡くした始が入っていく……
というのがまーいっこポイントになっているとは思います。

「がんばる」とは何か。
それは、人に勝つことじゃない。勝つためにやるんじゃない。
「本気でやる」ってことなんだ……
この本を最後まで読んだ時に、
一番わかりやすく見えてくるメッセージはそれ。

でも、この本の舞台を
「人に勝つことを奨励される特殊な教室」
って読むだけだとちょっともったいないんじゃないかなあと
私は思いました。

確かに話の中で、始の「がんばる観」はわかりやすく変わります。
でももっと変わってるものあるよね?
お話の最後の最後、始のこんな述懐があります。


  とつぜん、転入してきた日のことを思いだした。
  みんな、のっぺりしたへんな顔に見えたっけ。
  それがいまは、したしみのある顔ばかりになっている。

   (偕成社文庫版 p.176より)


これは始が「転入生だったけど、友だちが増えた」ということ
だけを示しているのではないと思います。
教師の前ですらいじめが横行し、
成績のいい者と悪い者が口をきかない、
ぎすぎすした教室が、変わったということではないでしょうか。

予想つく方もいらっしゃるかもしれませんが、
私はこれを「スクールカーストの物語」として(も)読みました。
物語の中では、競争や順位付けは
結構わかりやすい悪役である担任の先生によって行われています。
でも、これを現代の私たちは、
自らやっている(もしくはやらざるを得ない状況になっている)んだ……
あれって、競争なんだ。って。
物語が始まってすぐ発見しました。

その「カースト」が、見事に解体されていくというのが
この本の筋なわけです。

カーストを解体したのは、なんだったのか。
「びり」を取れば不思議な妖精が見えるようになること、
「びり」を取ったもの同士で
授業中にテレパシーで会話できるようになること、
などなど、「おもしろさ」があったから! っていうのが
やっぱりこのお話では強いようにも思えますが
(びりになる特典がこんなにあったらそりゃなるよ……)
現実にもあるもので言うならば、
「対話」だと思います。

さっきちょっと書きましたが、
設定上、この物語では「びりを取り、妖精の存在を信じた」者だけが
テレパシーを使うことができるようになります。
心で話す。
それによって、もう発言力や相手への視線
(話しかけたくないとか、話す意味もないとか)関係なく
強制的に相手と対話せざるを得なくなるのです。

物語の序盤では「びりっかす」の常連で
いじめられているだけだったみゆきという女の子が、
対話する相手を得てからは、
そのウォーミーな性格によって、
発言を尊重されるようになります。
テレパシーというある種強制的な対話が、
教室に点在しているだけだった個人をつないでいくのです。

そこに「おおお……!」って思ったよね!!
「びり」が面白いからみんなやりました、仲良くなりました、
ついでに「がんばる」の意味も知りました
――っていうそれだけのお話じゃない! と思う!

まーこれを
テレパシー使わずにリアルでやれるかって言ったら難しいけど……

競争っていうのは対話を奪ってんだな
相手を知らないっていうことなんだな


って。思いました。

もうほんと、著者の岡田さんは
どうやってこんな設定思いついたんでしょうねぇ……。
みんな読もう! まじに!
今こそ『びりっかすの神さま』読むべき時代!



今は忙しいんですけど、
この夏、実はちょっと仕事のスケジュールが
ゆったりめになっているんです。
それで個人的に……学校&教育関係の本を
じっくり読んでみよう!! と思っていたりします☆

とりあえずこれ読みたい\(^o^)/
絶対読む\(^o^)/


学校へ行く意味・休む意味: 不登校ってなんだろう? (どう考える?ニッポンの教育問題シリーズ)

滝川 一廣 / 日本図書センター



学校ってなに?
クラスってなに?
みたいなのを、とらえなおしたい。
「なに」ってか「どうであるべき」みたいな
自分なりの理想を見つけたい。
いつまでこだわってんだよーって言われそうだけど
なんかこれ、もう、こだわるべきところなような
気がしてきたんだわ。
過去っていうより未来に向けて。
by refri5erat0r | 2016-06-15 15:14 | 読んだものの感想